2020年03月29日

日本社会の歴史(下)

『日本社会の歴史(下)』
網野善彦 著
岩波新書 赤版502
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 (上)(中)(下)あるこのシリーズ本の中では、この本が一番ページ数が少ない。(上)(中)刊で見いだされたような、自分なりの疑問点、再発見したところも全くなかった。それまで割と横道にそれて提出されていた話題も全くなく、室町時代から一気に南北朝時代、桃山時代、江戸時代に話が進み、明治から大正、昭和は駆け足というより逃げ足と行った方が良いくらい話題も何も提出されていない。あちこちで何度も語られる、『百姓』が『農民』だけではなく、漁撈民、採集民、養蚕、陶芸、家具職人など、およそ百の職業を指すという意味合いが本来あった言葉なのに、明治以降の日本史教科書の中では、主に『農民』を指す言葉に変化しており、現代の教育者の中には、ほとんどが百姓イコール農民と考える学者が多い現状を憂える、網野先生の言葉が繰り返されていることが紙面をとおして、充分に感じられた唯一の感想である。

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2020年03月27日

日本社会の歴史(中)

『日本社会の歴史』(中)
網野義彦 著
岩波新書 赤版501

 日本の古代史を勉強するつもりだったのに、このシリーズは(上)(中)(下)があり、必然的に前書を終えると(中)へとつづくことになり、やや食欲不振ながら手を付けることになった。
 ほとんど興味の無い話が続く中で、おやと思える拾いものに出会うことが出来た。まず一つ目は常滑焼きの話。1126年に奥州藤原氏が平泉に居館をおき、中尊寺を完成させ、東北の一部に日本の中都市を成立させた。その成功の裏には太平洋を北から南に自在に航海し異国との貿易を行って財を蓄えた。その証拠として中部地方の常滑焼きが発見されているという(p.68~69)。
 二つ目には、12世紀になり、九州、肥前松浦では『松浦党』と呼ばれる海の領主たちの会場活動がさかんにみられ、宋人と結ばれる人も出てきた、という。これを読むと、呼子の松浦漬を思い出した。鯨の骨の酒粕漬だが、日本人ばなれした食品で、原料は鯨である。中国からの入れ知恵があって出来上がった商品かも知れない。この地の人々は海洋活動なども独特さがあるところから、どうやらこの時代に起源を持つと考えられそうである。
 三つ目は、14世紀には『北条氏得宗は、薩摩の要港坊津をはじめ口五島・七島とよばれた喜界島、奄美大島、永良部島、徳之島などの地頭職を掌握し、代官に海洋的性格をもつ被官、尾張の千𥧄(ちかま)氏を置いて南の境界をおさえていた。』(
p.158~159)。
名古屋市南区には現在も千𥧄通りがあり、そのむかし、製塩業をしていたグループがあるという。その名古屋出身のグループがなんとこのような日本の南の端の海洋に迄出かけていて、海の代官をしていたとは、想像出来ない活躍ぶりに随分驚いた次第だ。
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2020年03月11日

2020年03月10日

日本社会の歴史(上)

『日本社会の歴史(上)』
網野善彦 著
岩波新書赤版500

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 新年早々読んだ田中英道さんの数々の本には、『卑弥呼』だの『邪馬台国』だのといった、いわゆる三国志に書かれた内容の事実は存在しなかったので、三国志から日本史を考えるのは間違っていると教えられたものだから、この『日本社会の歴史(上)』の最初の方で、『卑弥呼』、『邪馬台国』について、早速、その三国志を有意義に指導的教科書的にとらえて、しかも、事実として日本史の中に紹介している著者には驚いてしまった。正直、網野さんの書物は当てにならないぞ、と直感的にとらえてしまう。

 しかし、ほうぼうに網野さんらしい、今迄の歴史本にない記述があって、それはそれ、これはこれ、として、新たな発見もあり、楽しく読み進んだ。特に、長岡京造営の際の記述に、『近江、河内には、桓武(かんむ天皇)の母と血筋を同じくする朝鮮半島からの移住民が非常に多く』(P.169)とあるように、韓国系の移民がこの地方に多いことと、近江の鮒寿司、水稲栽培の普及、近江商人などを思わず類推してしまった。

 さらに、古代イスラエル人の移民団として、秦氏を考えている、田中英道さんの考えと不思議に重なる次の文章が面白い。
『新京(平安京)の造営は、藤原氏式家の出身で移住民秦氏の母をもつ藤原種継を中心に・・・』(P.169)。
東映太秦撮影所の秦は同じ秦氏の住処を表すらしいところがなかなかスリリングだ。

 また、桓武天皇が東北地方の敵対する住民に対して手を焼き、関東に住まいするすこぶる軍部に強い勢力を味方につけて之を成敗するという内容で、次の文章も田中さんの本と共通する要素で面白かった。『桓武は鹿嶋社の「神賤」(しんせん)を軍団に加えている。神の奴婢ともいうべき「神賤」は、俗人の奴婢ではなく、神の権威を背景にした有力者で、平民よりも武勇にすぐれており、強力な軍事力になったのであるが、・・・(P.172)』。

 関東地方にある鹿島神宮には勝利を祈るスポーツ選手たちのお参りが多いという、田中さんの本にもあるように、ここでは、鹿島大社に付属する軍事力を遠くは慣れた近畿の天皇が利用していることが新しい発見であった。

 西日本と東日本の統一がなかなかまとまらない背景のひとつには、民族的な違いが想定出来るかもしれない。それはつまり、近畿の朝廷を形成している朝鮮半島由来の貴族グループと、東北での文化を形成するモンゴル的集団という対比構造ともいえる。この構造をよく表しているのが次の文章になる。『最近の発掘調査によって、東国には西日本と異なる製鉄技術があったことが明らかになっているが、それが北方から伝わってきた可能性もあるといわれており、古くから西日本とは社会の体制が異なっていた東北・東国には、こうした鉄と馬を基盤とする強力な武装集団が育っていたと考えられる』(P.203)。

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