『ナポレオンとタレイラン 下』
木良男 著
中央公論社 刊
ナポレオンとタレイランの強力な政府は、ヨーロッパで大国をなすイギリス、ロシア、オーストリア、フランスの4大国が、それぞれの思惑の違いで、ヨーロッパの中小国を巻き込んで、戦争と平和の繰り返しを続けていたが、タレイランがナポレオンの軍拡路線に声を大にして反対するのに対して、ナポレオンが皇帝の地位に着く頃から、その独裁性に少しヒビが入り始める。他の廷臣たちは、
ナポレオンに対して誰も反対意見を言わなくなる一方で、一人、タレイランだけは、ヨーロッパ全体の平和、フランスの独自性を考慮において、ナポレオンに諫言した。しかし、ナポレオンの発言力は時間と共にますます力を増していった。
やがて、最大の話し相手で、相談相手だった側近中の側近であるタレイランは、こっそりと中央政界から脱出する計画を作り、実践する。厳しい意見を言ってくれる相談相手を長きに渡って無視し続けたナポレオンは、これ以降の戦いで苦戦を強いられる。
最大の苦戦はロシア遠征で、冬に向かう季節に長距離のモスクワ遠征を敢行するが、夜な夜な現れるコサック兵のゲリラ攻撃、首都モスクワに到着したと思ったら、ロシアが自分の首都に自ら火を放って炎上させ、フランス軍は、飢えと凍傷に苦しむ。そんな中、ナポレオンは一人、各地に用意させておいた馬に乗り継いでパリに帰還する。
大陸封鎖令により、対外的な貿易を遮断されていたイギリスは、フランスの包囲網を破るため、ますます海軍力を高めてフランス軍を包囲し始める。陸軍力はあっても、海軍力に弱いフランス軍は最終的にワーテルローの戦いで、イギリスに負け、ナポレオンは捕らえられてアフリカの沖にあるセントヘレナに流刑され、最終的にはその地で最後の日を迎える。
この本では、その後の『会議は踊る』状況はしっかりと記述されていないが、タレイランがナポレオンの皇帝時代からブルボン家復活後のルイ18世時代になっても、対外的に活躍して、イギリス、オーストリア、ロシア、などの国から大いに国益を守り通したことが詳しく書かれている。
著者は大学で教鞭を取る立場にはないが、まるで諸角良彦氏のように、とんでもない才能を発揮してこの書を書き上げている。それは参考文献を見ればわかる通り、日本で出版された図書よりも数倍も多い海外で出版された文献を読みこなしており、その知識量は大学の教授クラスを上回るほどの教養に裏打ちされていて、舌を巻くばかりである。
posted by coichi at 00:02|
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